2 地獄の始まり、小学校中学年から小学校卒業辺りまでのお話

ということで小学校中学年に差し掛かった僕ですが。

とうとう担任ガチャに失敗。私立に行けなかったわけだし高望みしちゃいけないのはそうだと思っていますが、それにしてもゴミクソすぎる。常識も何もありゃしない。

小学校3年にして当然のように毎日学級崩壊。クラスは滅茶苦茶だしなんだかんだですぐ廊下に出ろ!イベントが発生。

ただ。

ただ……

 

公立極貧小学校のくそ不味い給食を皿にたらふく盛られた物を残さず食べるまで休み時間はおろか午後の授業に出して貰えない。今考えたら理不尽過ぎるよ。食育かなんかのつもりなんだろうけど、それはおかしいよ。不味い物を不味いと言って何が悪いんだ。

 

しかも、授業が始まると追い出され、廊下で立って食わされる。なんだこれ。公開処刑か何かですか?

 

ただ当時の自分は何もわかってなかったのか頭がイカれていたのか、学年が上がったから甘えてはられないんだ、そういうもんなんだ、と受け入れようとしていました。んなもん受け入れるな。

といった小三を過ごしました。

 

小四。学年上がるし担任変わるよな!……と担任の名前見るまではそう思ってました。多分。

 

変わってねえやんけ。2年連続クソ担任確定。

 

1年、2年、3年と担任が変わっていたので、変わるものだと思っていた。変わらなかったけど。

担任が変わらないので、クラスの惨状もそのまま、どころかエスカレートしていきました。それだけならまだ良かった。

 

なんと、児童同士のいじめにクラス担任が参戦!

いや意味わからないが。

しかも、虐められる側(僕)をやってない謎の罪を擦り付け徹底的に悪者扱い。物隠しや物捨て、その他諸々全てを僕のせいにされる。

いや、なんで?

挙句の果てにそのイカれた小学校と繋がっている怪しい児童精神科のようなことを語った施設に行くように勧めてくる。意味がわからない。

 

同時並行的にやってもないようなことでずっと親に連絡がいっていたためや色々ないざこざで家庭環境が悪化。平和などどこにもなかった。

ついに家出を決意、小学校に行ったまま帰らず、かと言って行くあてもないので小学校の周りに身をかくし……と言っても当然のように警察沙汰にされて一回目の家出未遂が終わりました。

 

それから家庭内暴力やら学校のいじめやら散々な事になっていたものの生きる気力があったのは言うまでもなく113系のお陰でした。

イベントに行っている時だけは心が晴れていた。周りの同業様方も優しくてただただ幸せだった。

 

それに+するならば4年から参加出来るクラブ活動で茶道に触れたこと。

外部から講師を呼んでいるため、世間の狭い小学生にとっては珍しい外の人間とのとの触れ合いでした。講師はおばあ様数名と言ったところでのんびりまったりとクラブ活動の時間を過ごしていました。

 

といった地獄と天国を行き来するような小学校中学年を過ごした僕は高学年に差し掛かります。

小五。

流石に担任は変わりました。

変わりましたが、またしても担任ガチャ失敗。

 

なんなんだろうな、この学校は。まともな教師はどんどん消えて常識の欠落した奴らばっかり残る。

 

相変わらず児童のいじめに担任が参戦するし、担任は敵側。

それで済んでくれりゃ良かったのにね。

給食が戦争になる。

何故か飛び交う牛乳瓶、毎日腐った牛乳の臭いがする教室。

んなとこで給食を食えるかよ。

挙句の果てに食べきらないと机ごと教室の外に出される。机すらも存在を認めて貰えない。

 

流石におかしいだろ、と気付く前に身体が拒否反応を始めました。

給食を一口も食えない。食おうとすると臭いとか味とか以前に吐き気がする。というか吐いた。

給食当番の時に話が出来る(とは言っても詳細は言えないが)男友達にそんなに食わんからお前にあげるわと言って1口分だけ皿に盛るようになった。

 

それでも食えないし廊下に出されるし、吐く。

ここは戦場か?

 

そして遂に教師からのいじめもエスカレートする。

 

特に目立った支障がある訳でもない(というか教師が言い訳したいだけだと思う)のに特別支援学級を勧められる。

 

一応、一応ですが、僕がいた小学校における特別支援学級は授業に支障の出るタイプの障害がある場合や著しく学習についていけていない等という理由がある際の臨時教室という設定なので、特にそういったことの無い僕が行くところでは無いのです。

 

流石に自分も親もキレてその話は無しになったようですが。

 

同時期に自分の家が燃える(マンション・燃えたのは一室のみ)という事案が発生。

……その一室が自分の部屋なんですけどね。

それに追い討ちでずっと心の支えであった113系や次点で好きだった211系の引退。

 

支えてくれるものがほぼ無くなった僕は遂に本格的に壊れます。

数えるのが嫌になるほどの自殺未遂、自傷……

 

とにかく、死にたかった。

 

それに尽きる。

なにかの自殺未遂が成功していたら僕は11歳で死んでいました。凄いね。

ただ、そういうのが積み重なったからなのか、記憶喪失を中学入学前辺りにやらかしました。

 

それでもクラブ活動では何食わぬ顔で書記、小学六年の頃は部長やらを勤めていたので本当に何やってんだかわからない。

 

+してクラスメイトに消しゴムやらボンドやら校庭の砂やら食いもんじゃないものを食わされまくる。

だいたいなんでも食えるようになったのはこのせいなのかな?ありがたくもなんともないが。

 

と色々散々な事になりつつ、時の流れには抗えないため受験シーズンへ。

当然あのような精神状態では成績も振るわず塾を転々としながら、六年の冬を迎えました。

ここまで言ったら分かるな?

 

中学受験、ギリギリの滑り止めのみ合格。

 

区立では無いだけマシ、だと思っていました。入学して現状を見るまでは。

 

区立から私立の話に切り替わるので、ページを分けたいと思います。

 

では次のページで。