4 混沌と化した高校時代
お見事なほどの転落ぶりを見せた中学時代から一転……すればよかったんですけどね。結局のところしませんでした。
ということで高校に入学しました。
中学と違う点といえば、通信制、単位制であるということ。しかし、意欲やら所属している部活やらによって休校日以外はいつ校舎に来てもいいようなところであったため、だいたい毎日(結局1年の時だけだったが)登校していた。
付け加えると、一般的な都会の通信制の学校と言うとビルのようなものに入っている学校らしくないものをイメージする方が多いと思うが、僕の学校は校庭がないだけで、建物は普通の学校の見た目だった。他の通信制高校は見なかったため分からないが、多分珍しいのでは無いかと思っている。
そして運良く入学後すぐ話せる友人が出来た。そして、その友人に勧められてTwitterにも手を出した。この頃は学校関係者のみと話す為だけで、外の世界の人々と関係を持ち出したのはその半年後くらいの話ではあるが。まぁそこまでは良かった。
その友人達がグループで演劇部に入るとの事で、釣られて僕も演劇部へ。ここから地獄の始まり。
僕は根っからのコミュ障、陰キャ、授業内での発表すらまともに出来ないほどのあがり症。そして滑舌もいいほうではないので、裏方として支援する側になった。ただこの部、圧倒的に人員不足であった。と言うより、裏方人材(裁縫とか道具作りとかが可能なタイプの人)がほとんど居ない、というか僕だけだった。
もうここで察しがつくと思うが、残業どころの問題では無いほど毎日裁縫と小道具大道具作りをする羽目になった。一人で。
ただ僕は中学時代からの教会通い等により無駄に奉仕精神だけはあったので、どんなことも断らずに全てやってしまった。体と精神の限界を超えて。
半年ギリギリ経つか立たないかの頃、僕は演者全員の衣装を手作りしていた。しかし演者側は裁縫など義務教育の申し訳程度の家庭科で少し触れた程度であるため、どれほどの作業であるかを理解していない。
つまり、ものすごく急かされるのだ。こちらがなんと言おうと早くしてくれ、とばかり言われ続ける毎日だった。
全てに限界が来た。演者側も含めて。
僕側はもう身体も精神も限界、演者側はどんどん締切を早めてくるという謎の焦り方。
最終的に喧嘩になり、僕が演劇部から抜けるという事態へ。
それから衣装がどうなったか?僕にはそんなもんわからん。事実上絶縁状態だったし。
そんな感じで怒涛の高一の半年を過ごしました。そこから一年の終わりまでそこそこ平和に過ごせました。行事に全て参加したり、文化祭のようなものの時は親の会のブースに絵を飾ったり(これは結局三年間ずっとやってました)しそれなりに楽しんでいました。
そんなこんなで高二に突入。
ここでまた事件が起きます。
元演劇部のメンツに目をつけられ意図的に避けられる
何故か時差的にいじめのようなものの対象になりました。なんで?
学校内での居心地が悪くなり、学校で授業を受けなければいけない日以外は学校に行かなくなった。
ただ行事は楽しかったので毎回参加していたが。
ここで終わればよかった。
財布をちぎり取られて盗まれる
という事件が発生。ちぎり取られるってなんだよと思うかもしれないが、当時の僕は財布とショルダーバッグを金属製の鎖で繋いでいた。そう、常識的に考えれば財布ごとは盗まれないはずなのである。
とある日学校が終わったら寄り道するか、と思い諸々を合わせて1万円相当を持って学校に行った。そして授業を普通に受けて……寄り道しに行こうとしたら財布が消えているのだ。
鎖が何かで切られた痕跡を残して、ショルダーバッグに垂れ下がっているだけだった。
相当ショックだった上事情を説明したら親にも怒られた(交通系ICカード等金に関わるもの全てを入れていた)。
突然の一文無しでは帰ることすら出来ないので校舎に戻り、教師に説明して交通費を借りて帰った。
その後学内にある電子掲示板のようなもので心当たりがある人を教師らが探してくれていたようだが、見つからず。
ただ心当たりはある。そう、演劇部のメンツだ。
しかし僕は問いただす勇気など持ち合わせていないので実質泣き寝入り。
そんな高二だった。
高三
最初の半年はなんだかんだで普通に過ごしていたが、後半でよく分からないことが起きる。
何故かとても気まぐれで中学の文化祭に足を運んだ。何故行ったのかは分からない。
その時に前のページで言っていた、中学時代の友人……所謂不良仲間の訃報を知る。
その友人が心臓が悪いだとか何とか……は知っていたものの、元気に過ごしていたからびっくりした。
卒業まで後少しだったのにな、と言ったら教えてくれた元クラスメイトが亡くなったのは高一になってすぐだと。
そのクラスメイトと連絡が取れない訳ではなかったが、仲良くしていたのは知られていたようで、謎の気遣いをされていた。
いや、知らん方が辛いわ。
世間的に見れば酷い関係ではあったものの、友人は友人。その友人の死を、何故か約二年遅れで知る。
正直今でも実感がわかない。死んだフリしてどっかで生きているのではないかとすら思う。何故なら中学で出て行く事と進学先の場所を伝えた時、それじゃ中間点の原宿で会えるな!などと話していたからだ。
結局高校に進学してからはその友人とは会えていなかった。
あまりにいきなりの現実。そうなんだ……としか言えなかった。友人のことだと言うのに、酷い話だ。
そこから急にやる気を失い、成績が落ちた。しかし単位はきちんと取れていたため、単位面では余裕で大学推薦を受けられることになった。
単位面では。
しかし頭は悪いので毎年恒例年度はじめの試験はボロボロで、3年次の成績も良くないのでそうそう上手くいかず。
結局、第5希望まで書ける志望書の5番目に書いた学科にギリギリで入学することになった。
それが現在在学中の学科ではあるのだが。
そんなこんなで高校時代が終わっていきました。
大学入学から現在まではまた次のページで。