5 まともがわからない(大学入学から現在まで)

本編の前に

間隔が大幅に開いてしまってる間(2週間ほど前に)PVが100突破したとの通知が来てまして……そんなに見られてる!?と驚きながら慌てて書いてます、はい……(続編待ってる人が居たらごめんなさい!)

 

ということで本編入ります(唐突)

 

なんだかんだで推薦で大学に入ったはいいものの、滑り止めみたいな感じで入れていた学科だったため何をやるかよくわかっていませんでした。その時点でアウトだと今は思っていますが……

元々文系が苦手(数学が壊滅的なのにそれはダメだろ)なのにほぼ文系のような学科故、自学科で開講されている講義に全く興味を持てず他学科履修を複数していました。

詳しく書くと個人情報バレしそうなので詳細は省くけど必修且つ着替えを要する授業の時にたまたま近くに居た同期と話をしてるうちにその同期と友達になったという謎の経緯があったりします。逆に自分の学科で顔と名前が一致するのがその1人しかいませんが。

1回生の頃は全てやり直すぞって気合いがまだあったので何故かサークルに3つ入りました。但しそのうちひとつは自分の過失で半年で辞めているのともうひとつは今や幽霊部員です。ごめんなさい()

元々頭は悪いのでフル単というものには縁が無いもののそこそこの単位を取って1回生時代を終わらせました。

 

2回生になるかならないかの頃にご時世案件が日本へ……

ここからはとことんご時世に振り回されます。

2回生になってから授業形態がめちゃくちゃになり、とりあえず大学での講義は無く、オンラインで!となったはいいものの講義によって使うものが違う上に連絡方法もバラバラ。

パソコンが苦手な僕にとっては最悪の環境が整いました。

元々、学校の宿題や課題等は学校で片付ける習慣だった僕は家で勉強することが出来ず(落ち着かない)、更に二転三転する大学の対応に完全についていけなくなってついに放棄に至りました……。

放棄、と言うとただやる気が無いだけでは?と思われてしまうのも当然だと思うのだが実際はやろうとしても手をつけられない、やりたい、やらなきゃいけないのにできない、そして焦り自分が嫌になる。

といった具合に追い詰められていました。

 

もうこれは駄目だ、とその年の夏頃位から精神科に通い始めましたが絶対もっと前から行くべきだったと思ってます。自分が自分を一番分かっていない。

めちゃくちゃになってからやっと通院しだしたとて合う薬がそう簡単に見つかる訳もなく、色んな薬を処方されては駄目だ……の繰り返し。1年経つ今ですら合う薬みつかってないです。はい。

読者の皆様はめちゃくちゃになる前に病院に行ってください。マジで。僕はそれで2回生丸々虚無で終わらせました。

何も手につかなかったので2回生時代1年間での取得単位数が1回生の上半期程度……という結果に。

ここで恐らく僕は5回生確定になりました。まだわからないけど。

 

2回生があまりにも虚無で書くことがないので3回生……というか現在の話へ。

3回生になってからはオンラインと大学での開講と大きく分けて2パターンに。

と言っても無気力なので適当に選んで受けてみたら資格とるためのガチな感じの講義でこれはダメだと別の講義を取り直したり色々めちゃくちゃでしたが。

結局オンライン8割位になったはいいものの、それぞれが未だに統一されておらず振り回されててこれでいいのかと不安になってます。というか不安です。

そして諸々のせいなのかなんなのか心だけでなく身体もぶっ壊して通院したり(結局原因わからなかったけど)していたら卒論のゼミを2ヶ月近く病欠してしまい焦っています。やばい。

というのが現状です。

実はというか構成上入れ方が分からなかったので別記扱いにしただけなんですが1回生から2回生にかけて運転免許をとるために車校に行っていました。但し本免試験の時に視力的にアウトというのが発覚して結局運転免許は持ってません……。

 

それ以外は思い出したり大きな動きがあったり(あるのか?)したら書きます。ということで現状までのろくでなし人生でした(?)

 

 

 

 

番外編 1 僕の色々について(近況報告では無い報告)

本当は本編書ききってから出そうと思っていたのだが早めに言った方がいいような気がしたので書きます

 

普段一人称を「僕」としてるあたりで察しているかもしれませんが、身体は女性ですが心というか内面は男性に近いです。家族はそういったものの理解が全くないので「私」を使っていますが……

所謂恋愛感情のようなものはあまりないのですが、好むのは女性が殆どです(2次元であろうと3次元であろうと)

なので最近までは女性が主に出てるアニメやゲームなどしかやっていませんでした……検索避けとかの文化が未だに分からない……

 

そしてTwitter内の混沌でまた察しているかもしれませんが多重人格なので、やった記憶のないことをやっていたりなんだりが多々あります。「なにこれやった記憶ないが」とか言っていたらそれまでは別の人格がでてたという解釈をしてください……(最近それが酷くなってきているので一応……)

 

上記とは関係なく、過去に記憶喪失歴があるせいなのか記憶能力がかなり低いです……約束等してて忘れてたりしたらリマインドお願いします……。

 

5ページ目に関しては現在ちまちま書いてます。少しお待ちください。

ではまた次のページで……

 

4 混沌と化した高校時代

お見事なほどの転落ぶりを見せた中学時代から一転……すればよかったんですけどね。結局のところしませんでした。

ということで高校に入学しました。

中学と違う点といえば、通信制、単位制であるということ。しかし、意欲やら所属している部活やらによって休校日以外はいつ校舎に来てもいいようなところであったため、だいたい毎日(結局1年の時だけだったが)登校していた。

付け加えると、一般的な都会の通信制の学校と言うとビルのようなものに入っている学校らしくないものをイメージする方が多いと思うが、僕の学校は校庭がないだけで、建物は普通の学校の見た目だった。他の通信制高校は見なかったため分からないが、多分珍しいのでは無いかと思っている。

 

そして運良く入学後すぐ話せる友人が出来た。そして、その友人に勧められてTwitterにも手を出した。この頃は学校関係者のみと話す為だけで、外の世界の人々と関係を持ち出したのはその半年後くらいの話ではあるが。まぁそこまでは良かった。

その友人達がグループで演劇部に入るとの事で、釣られて僕も演劇部へ。ここから地獄の始まり。

 

僕は根っからのコミュ障、陰キャ、授業内での発表すらまともに出来ないほどのあがり症。そして滑舌もいいほうではないので、裏方として支援する側になった。ただこの部、圧倒的に人員不足であった。と言うより、裏方人材(裁縫とか道具作りとかが可能なタイプの人)がほとんど居ない、というか僕だけだった。

もうここで察しがつくと思うが、残業どころの問題では無いほど毎日裁縫と小道具大道具作りをする羽目になった。一人で。

ただ僕は中学時代からの教会通い等により無駄に奉仕精神だけはあったので、どんなことも断らずに全てやってしまった。体と精神の限界を超えて。

 

半年ギリギリ経つか立たないかの頃、僕は演者全員の衣装を手作りしていた。しかし演者側は裁縫など義務教育の申し訳程度の家庭科で少し触れた程度であるため、どれほどの作業であるかを理解していない。

つまり、ものすごく急かされるのだ。こちらがなんと言おうと早くしてくれ、とばかり言われ続ける毎日だった。

 

全てに限界が来た。演者側も含めて。

 

僕側はもう身体も精神も限界、演者側はどんどん締切を早めてくるという謎の焦り方。

最終的に喧嘩になり、僕が演劇部から抜けるという事態へ。

それから衣装がどうなったか?僕にはそんなもんわからん。事実上絶縁状態だったし。

 

そんな感じで怒涛の高一の半年を過ごしました。そこから一年の終わりまでそこそこ平和に過ごせました。行事に全て参加したり、文化祭のようなものの時は親の会のブースに絵を飾ったり(これは結局三年間ずっとやってました)しそれなりに楽しんでいました。

そんなこんなで高二に突入。

ここでまた事件が起きます。

 

元演劇部のメンツに目をつけられ意図的に避けられる

 

何故か時差的にいじめのようなものの対象になりました。なんで?

学校内での居心地が悪くなり、学校で授業を受けなければいけない日以外は学校に行かなくなった。

ただ行事は楽しかったので毎回参加していたが。

ここで終わればよかった。

 

財布をちぎり取られて盗まれる

 

という事件が発生。ちぎり取られるってなんだよと思うかもしれないが、当時の僕は財布とショルダーバッグを金属製の鎖で繋いでいた。そう、常識的に考えれば財布ごとは盗まれないはずなのである。

とある日学校が終わったら寄り道するか、と思い諸々を合わせて1万円相当を持って学校に行った。そして授業を普通に受けて……寄り道しに行こうとしたら財布が消えているのだ。

鎖が何かで切られた痕跡を残して、ショルダーバッグに垂れ下がっているだけだった。

相当ショックだった上事情を説明したら親にも怒られた(交通系ICカード等金に関わるもの全てを入れていた)。

突然の一文無しでは帰ることすら出来ないので校舎に戻り、教師に説明して交通費を借りて帰った。

その後学内にある電子掲示板のようなもので心当たりがある人を教師らが探してくれていたようだが、見つからず。

ただ心当たりはある。そう、演劇部のメンツだ。

しかし僕は問いただす勇気など持ち合わせていないので実質泣き寝入り。

そんな高二だった。

 

高三

最初の半年はなんだかんだで普通に過ごしていたが、後半でよく分からないことが起きる。

 

何故かとても気まぐれで中学の文化祭に足を運んだ。何故行ったのかは分からない。

 

その時に前のページで言っていた、中学時代の友人……所謂不良仲間の訃報を知る。

 

その友人が心臓が悪いだとか何とか……は知っていたものの、元気に過ごしていたからびっくりした。

卒業まで後少しだったのにな、と言ったら教えてくれた元クラスメイトが亡くなったのは高一になってすぐだと。

そのクラスメイトと連絡が取れない訳ではなかったが、仲良くしていたのは知られていたようで、謎の気遣いをされていた。

 

いや、知らん方が辛いわ。

世間的に見れば酷い関係ではあったものの、友人は友人。その友人の死を、何故か約二年遅れで知る。

正直今でも実感がわかない。死んだフリしてどっかで生きているのではないかとすら思う。何故なら中学で出て行く事と進学先の場所を伝えた時、それじゃ中間点の原宿で会えるな!などと話していたからだ。

結局高校に進学してからはその友人とは会えていなかった。

あまりにいきなりの現実。そうなんだ……としか言えなかった。友人のことだと言うのに、酷い話だ。

そこから急にやる気を失い、成績が落ちた。しかし単位はきちんと取れていたため、単位面では余裕で大学推薦を受けられることになった。

単位面では。

 

しかし頭は悪いので毎年恒例年度はじめの試験はボロボロで、3年次の成績も良くないのでそうそう上手くいかず。

結局、第5希望まで書ける志望書の5番目に書いた学科にギリギリで入学することになった。

それが現在在学中の学科ではあるのだが。

 

そんなこんなで高校時代が終わっていきました。

大学入学から現在まではまた次のページで。

3 地獄は続くよいつまでも(小学校時代の書き足しと中学卒業辺りまで)

題を決めたはいいものの、正直続くな。早く終われ。終わらなかったけど。

小学校時代が長文になってしまったので家庭環境まで書けてなかった。書かなくてもいいのかもしれないけど。

まぁ何度も言っている通り記憶喪失をやらかしている以上いつまでその記憶があるかも分からないので、メモ帳扱いにしておきます。

 

何があったかと言いますとまず親に心中を持ちかけられました。しかも複数回。

「一緒に山手線に飛び込もう」とか。

親は僕が鉄道が好きであるということを知っているので悪質です。そうでなくても親と一緒に心中はしたくない。絶対に。

 

それだけならまだ良いんですが、更に冬でもお構い無しに裸足と薄い部屋着で廊下に出される。

なぜ薄い部屋着かと言うと単純に超都会のマンションでつくりはしっかりしているので、冬でも一応寒くは無いのです。外に出なければ。

ただ外に出ることは何も考慮していない上、裸足。それで何時間も外に立たされるので当然寒い。

家の中にいてもリモコン、マグカップ、鍋、その他色々なものが飛び交っていたのでどこにも平和はありませんでしたが。

 

今考えたらそんな中で勉強してても中学受験に成功するはずがないなと思いますが……当時の自分はそれでも頑張っていたと思います。誰にも認められませんでしたが。

 

そんなこんなで中学進学。

家から山手線を約半周したあたりのとあるミッションスクール、と言えば多分聞こえはよろしいんだろうな……。

 

そんなところに入学しました。

入学前辺りにうっすらと「自分が行く教会探しといてね〜」と都内と一部周辺地域の教会の名前がズラリと並んだ一覧表を貰い、僕はどうせ行くならビジュアル的にいい感じのところに行きたいなと思って家の近くの教会数箇所を検索にかけ……ようとしたのだが、記憶喪失のせいでパソコンが使えなくなり何も出来ん。

ということでいきなり実地調査に走った。

そして1件目。そんなに近くもなかったが、静かで(静かではなかった。都会は都会なので街宣車がうるさい。)建物も素敵だったので他を見ずに即決した。今思えば大変失礼な決め方が過ぎるが。

 

周りをキョロキョロしながら右往左往する不審者をしていると中から人が出てきて声をかけられた。それはそうだ。事情を話すとものすごく暖かく迎えられた。運命だと思ったよ、素直に。

そんなこんなで前準備が珍しく順調に終わったので、なんか今回は大丈夫だろうという気がしていた。

 

大丈夫じゃなかったね。

 

中一。友人作り、失敗。

女子校独特のなんかでかい派閥みたいなのがどうしても理解出来ず、敗北。単純に怖かったというのもあるけど。

色々諸々のストレスでよく分からないことになり、消毒液をコンビニで買った炭酸水にぶち込んで飲むなどといった奇行に走る。もちろんバレてはいないが。

学校ではぼっちでしたが教会の中では友人が沢山できていたので教会ありがとう……と言った感じでした(本来の目的から逸れている……)

 

ただ、学校でも友達を作りたいと思ってしまった。ここ敗北ポイント。

友達がとにかく欲しかった(自分が記憶喪失により空っぽなのをどうにかしたかった)ので色んな組織に非正規だろうが絡むようになる。

 

そんなこんなで中二に上がる。

不思議なことに中二になってから、とある同期に声をかけられ、やっとこさ友達が出来ました。

ただそれが転落人生の真の始まりだった。

多分、お互いに正しい意味での友達というものを理解していなかったのだと思う。

多分とてもよろしくないのだと思うが、コンビニで○○買ってきて、だの買い物に付き合ってくれ(金を出すのは僕なのだが。)だの。

僕もそんなに無限に金が得られた訳では無いというかむしろ最低限しか貰えていなかったため、自分のことに使う金は残らなかった。ただ、友人というもんはそういうもんなんだと思っていた。

ただ、次第にエスカレートしていく。

中学の校舎の最上階の体育倉庫でヤニを吸ったり、夜遊びに没頭したり。

えぇ、所謂不良というやつです。流石に上記2件やちょこちょこ法律上に引っかかりそうな諸々はバレませんでしたけど。

下手したら少年院行き、みたいなことを毎日やってて。そんな事やってるから成績も低迷し(元から良くはなかったが)、底辺中学の底辺の泥沼の一員となる。それでも中二の終わりまで、華道部に所属していた。まともなの正直いってそこだけだよ。

 

しかし学校内でも色々な悪事をはたらいていたので、ほぼ毎日親に電話が行く。とっくに家庭環境などというものは崩壊しているので、ボロボロはボロボロのままだったのだが遂に友人と会うのをやめろだの言ってくるようになる。当然とは思うが。

ただ僕はただ楽しいと思っていたので辞めるつもりもなく。きっとこんなめちゃくちゃな楽しみで満足していたのは、もうこの時点で20まで生きるつもりがなかったり何がどうなってももういいや、と思っていたのもある。生き急ぎポイントを貯める毎日だった。

そして学年が中三へ。

中高一貫校なので、高校受験などというものは必要なくそこは楽……なのだが、あまりにも成績や素行がやばいので、高校に上がれるかどうかに疑問がつくようになる。それでもずっと友人と遊んでいた訳だが。

そして何故か中三で部活をイラストレーション部に移動する。その少し前から絵は描いていたが、何故部を移動したのかは謎。

そんなこんなの親と学校の板挟みの中、なんかよくわからないが気が強い感じの同期になんか色々ものを言われるようになる。怖かった。

そこから多分女性恐怖症的な何かが生えてきたんだと思う。嫌なやつだったよ……(言葉の暴力のオンパレードをやられました。)

トリプルパンチをくらった僕は学校に行けなくなる。不登校

小学校時代に思いっきり病んでたのに拍車がかかり色んなものの乱用やらここでまた自殺未遂やら自傷やら。

 

もうはっきり言って、どうして生きているのか分からなくなった。傷口を見ながらなんで僕は生きてるんだろうなぁなどということをずっと考えていた。

 

当然だが、その前から高校に上がれるか分からないね!という感じだったのがそこで確定で上がれなくなる。

と言ってもそれがもう中三の秋の終わり頃だったので何も出来ず、とある通信制高校に通うことになる。

そこはそこで……だったのだが。

 

区切りが良いため、今回はここまで。

高校からは次のページで。

 

 

2 地獄の始まり、小学校中学年から小学校卒業辺りまでのお話

ということで小学校中学年に差し掛かった僕ですが。

とうとう担任ガチャに失敗。私立に行けなかったわけだし高望みしちゃいけないのはそうだと思っていますが、それにしてもゴミクソすぎる。常識も何もありゃしない。

小学校3年にして当然のように毎日学級崩壊。クラスは滅茶苦茶だしなんだかんだですぐ廊下に出ろ!イベントが発生。

ただ。

ただ……

 

公立極貧小学校のくそ不味い給食を皿にたらふく盛られた物を残さず食べるまで休み時間はおろか午後の授業に出して貰えない。今考えたら理不尽過ぎるよ。食育かなんかのつもりなんだろうけど、それはおかしいよ。不味い物を不味いと言って何が悪いんだ。

 

しかも、授業が始まると追い出され、廊下で立って食わされる。なんだこれ。公開処刑か何かですか?

 

ただ当時の自分は何もわかってなかったのか頭がイカれていたのか、学年が上がったから甘えてはられないんだ、そういうもんなんだ、と受け入れようとしていました。んなもん受け入れるな。

といった小三を過ごしました。

 

小四。学年上がるし担任変わるよな!……と担任の名前見るまではそう思ってました。多分。

 

変わってねえやんけ。2年連続クソ担任確定。

 

1年、2年、3年と担任が変わっていたので、変わるものだと思っていた。変わらなかったけど。

担任が変わらないので、クラスの惨状もそのまま、どころかエスカレートしていきました。それだけならまだ良かった。

 

なんと、児童同士のいじめにクラス担任が参戦!

いや意味わからないが。

しかも、虐められる側(僕)をやってない謎の罪を擦り付け徹底的に悪者扱い。物隠しや物捨て、その他諸々全てを僕のせいにされる。

いや、なんで?

挙句の果てにそのイカれた小学校と繋がっている怪しい児童精神科のようなことを語った施設に行くように勧めてくる。意味がわからない。

 

同時並行的にやってもないようなことでずっと親に連絡がいっていたためや色々ないざこざで家庭環境が悪化。平和などどこにもなかった。

ついに家出を決意、小学校に行ったまま帰らず、かと言って行くあてもないので小学校の周りに身をかくし……と言っても当然のように警察沙汰にされて一回目の家出未遂が終わりました。

 

それから家庭内暴力やら学校のいじめやら散々な事になっていたものの生きる気力があったのは言うまでもなく113系のお陰でした。

イベントに行っている時だけは心が晴れていた。周りの同業様方も優しくてただただ幸せだった。

 

それに+するならば4年から参加出来るクラブ活動で茶道に触れたこと。

外部から講師を呼んでいるため、世間の狭い小学生にとっては珍しい外の人間とのとの触れ合いでした。講師はおばあ様数名と言ったところでのんびりまったりとクラブ活動の時間を過ごしていました。

 

といった地獄と天国を行き来するような小学校中学年を過ごした僕は高学年に差し掛かります。

小五。

流石に担任は変わりました。

変わりましたが、またしても担任ガチャ失敗。

 

なんなんだろうな、この学校は。まともな教師はどんどん消えて常識の欠落した奴らばっかり残る。

 

相変わらず児童のいじめに担任が参戦するし、担任は敵側。

それで済んでくれりゃ良かったのにね。

給食が戦争になる。

何故か飛び交う牛乳瓶、毎日腐った牛乳の臭いがする教室。

んなとこで給食を食えるかよ。

挙句の果てに食べきらないと机ごと教室の外に出される。机すらも存在を認めて貰えない。

 

流石におかしいだろ、と気付く前に身体が拒否反応を始めました。

給食を一口も食えない。食おうとすると臭いとか味とか以前に吐き気がする。というか吐いた。

給食当番の時に話が出来る(とは言っても詳細は言えないが)男友達にそんなに食わんからお前にあげるわと言って1口分だけ皿に盛るようになった。

 

それでも食えないし廊下に出されるし、吐く。

ここは戦場か?

 

そして遂に教師からのいじめもエスカレートする。

 

特に目立った支障がある訳でもない(というか教師が言い訳したいだけだと思う)のに特別支援学級を勧められる。

 

一応、一応ですが、僕がいた小学校における特別支援学級は授業に支障の出るタイプの障害がある場合や著しく学習についていけていない等という理由がある際の臨時教室という設定なので、特にそういったことの無い僕が行くところでは無いのです。

 

流石に自分も親もキレてその話は無しになったようですが。

 

同時期に自分の家が燃える(マンション・燃えたのは一室のみ)という事案が発生。

……その一室が自分の部屋なんですけどね。

それに追い討ちでずっと心の支えであった113系や次点で好きだった211系の引退。

 

支えてくれるものがほぼ無くなった僕は遂に本格的に壊れます。

数えるのが嫌になるほどの自殺未遂、自傷……

 

とにかく、死にたかった。

 

それに尽きる。

なにかの自殺未遂が成功していたら僕は11歳で死んでいました。凄いね。

ただ、そういうのが積み重なったからなのか、記憶喪失を中学入学前辺りにやらかしました。

 

それでもクラブ活動では何食わぬ顔で書記、小学六年の頃は部長やらを勤めていたので本当に何やってんだかわからない。

 

+してクラスメイトに消しゴムやらボンドやら校庭の砂やら食いもんじゃないものを食わされまくる。

だいたいなんでも食えるようになったのはこのせいなのかな?ありがたくもなんともないが。

 

と色々散々な事になりつつ、時の流れには抗えないため受験シーズンへ。

当然あのような精神状態では成績も振るわず塾を転々としながら、六年の冬を迎えました。

ここまで言ったら分かるな?

 

中学受験、ギリギリの滑り止めのみ合格。

 

区立では無いだけマシ、だと思っていました。入学して現状を見るまでは。

 

区立から私立の話に切り替わるので、ページを分けたいと思います。

 

では次のページで。

1 平和だった小学2年生頃までの話

僕は二十世紀の終わりに港区で生まれ渋谷区で育った、超のつく都会っ子です。

……とここまで書くとなんだ恵まれてんなお前、と思うかもしれませんが忘れてください。多分その気持ちで読み進めると後悔します。多分。

 

生まれた時の事はもうよく分かりませんが幼稚園時代は習い事をさせられてはやめさせられたり、所謂お受験なるものを失敗したり……と当時からちょっと……な人間だったような話を聞かされていますが本人に記憶が無いので信憑性は不明です。

ただ幼稚園の年長辺りの頃にその後の人生の大まかを狂わされる(恐らくいい方の)事件が起きました。

その少し前から僕は鉄道趣味にのめり込んでいて、その時は何故かパソコンを使いこなしていたためか、動画サイトなり個人の鉄道ブログなりを読み耽る毎日を送っていました。

具体的な日にちは今となっては分かりませんが、113系の引退を労うとある動画が某動画サイトに上げられたのをリアルタイムで観測してその動画に感動し……なんとそのまま(?)113系が初恋の相手になってしまいました。

元々認識がめちゃくちゃだったのか、人間へ向かう愛のようななにかが欠落していたのか分かりませんが、素直に恋に落ちました。……ここからもう狂っていたのでは?とも思いますが、途中までの多大なる人生の救いに貢献する事になったので結果良ければ全てよし、という感じです。

 

……ということがありつつ、区内の区立小学校に入学しました。

体に合わせた表現方法をすると男友達しか出来ませんでしたが、小学校低学年時代の2人の担任はとても優しくてちゃんと常識のある方だったので平和に過ごせたと思っています。(その証拠に記憶がほとんど残っていません……)

ただ、ずっとずっとずーーーーっと、身長が1mにすらいかない。当然身長順で1番前。そして、小二からは眼鏡っ子。体に限って言えば女なのにバチバチの鉄道趣味(当時は女子鉄やら鉄子やらなどという概念はなく、全く理解されぬ存在でした。)。そしてゲームやアニメ、漫画等(漫画については親から買い与えられたもののみOKでした。ゲゲゲの鬼太郎漂流教室というよく分からないチョイスでしたが。)を禁止されているためクラスメイトの話題が全く分からない、etc。色々なフラグは立っていましたね……今考えたら……

でも、当時の自分は鉄道動画を見たり個人サイトを覗いたりでエンジョイしていたので(恐らく)後々色々な事になるとは思ってもなかったんだと思います。

 

よく言えば頭お花畑で過ごせた時代……といった感じです。

 

何故か家庭内でのことは全く思い出せずにいますが。何してたんだろうね、自分。

 

フラグで重武装かました僕は小学校中学年に進級していきます……が。

いきなりクソ重の連続になりそう(確実になる)のでページを分けます。

 

それでは次のページで。

 

 

 

前置き(のようななにかです)

まず初めに、これはどこかのTwitter上の人間によるろくでもない人生を数ページに分けて勝手に振り返るという企画ブログです。本当にろくでもない事しかないので、覚悟を決めて見ていってください。

ただ書くことは一応開き直ってる(許している・許されるとは思っていませんが……)事なので、心配やら苦情やらは……と言った感じです。

ここからは表現的な面で疑問が出る前に謝って逃げるための文章です。流してもらっても構いません。

「らしいです」を連発すると思いますが、記憶喪失をやらかしているため、一部の記憶が他人から聞いたものしかありません。本当に覚えてないです(?)聞いた人もちょっと……な感じなので信憑性もよく分かりませんが……

生々しい表現はできるだけ避けるよう努力はしますが、ぼかしきれなかったらごめんなさい。どこまでが普通なのか分かりません。

長ったらしいのもなんだかなぁとなるので、そろそろ次のページから本題に入ります。暫しお付き合いください。